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東京高等裁判所 昭和52年(ネ)1109号 判決

昭和五二年(ネ)第八四六号事件控訴人 国

右代表者法務大臣 倉石忠雄

右指定代理人 島尻寛光

〈ほか三名〉

昭和五二年(ネ)第一、一〇九号事件控訴人 安藤和夫

右訴訟代理人弁護士 川原井常雄

堀江永

昭和五二年(ネ)第八四六号、同第一、一〇九号事件被控訴人 山田三喜夫

昭和五二年(ネ)第八四六号、同第一、一〇九号事件被控訴人 大鷲隆平

右二名訴訟代理人弁護士 若林秀雄

一色直行

町田冨士雄

右訴訟復代理人弁護士 西川三男

主文

原判決を次のとおり変更する。

被控訴人山田三喜夫所有の別紙目録記載(一)の土地と控訴人国の所有する同目録記載(四)の道路との境界を、別紙図面(二)に表示する(E)'、(D)、(C)の各点を順次直線をもって結んだ線であることを確定する。

被控訴人大鷲隆平の所有する別紙目録記載(二)の土地と控訴人国の所有する同目録記載(四)の道路との境界を、別紙図面(二)に表示する(C)、(3)の各点を直線をもって結んだ線であることを確定する。

被控訴人大鷲隆平の所有する別紙目録記載(二)の土地と控訴人安藤和夫の所有する同目録記載(三)の土地との境界を別紙図面(二)に表示する(3)、(2)の各点を直線をもって結んだ線であることを確定する。

被控訴人山田三喜夫、同大鷲隆平の控訴人安藤和夫に対する請求は、いずれもこれを棄却する。

訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

事実

控訴人国代理人は、「原判決を取消す。別紙目録記載(一)の土地(以下、同目録記載の土地については、右目録記載の番号を付して本件土地と呼び、右(一)の土地に同所二、五〇五番三、同番四の土地を総称して本件(一)等の土地という。)とその北側に隣接する控訴人国所有の別紙目録記載(四)の道路(以下、本件市道という。)との境界を、別紙図面(一)に表示する(と)、(へ)の各点を直線をもって結んだ線であることを確定する。本件(二)の土地とその東側に隣接する控訴人国所有の本件市道との境界を、別紙図面(一)に表示する(へ)、(ほ)の各点を直線をもって結んだ線であることを確定する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。」との判決を求め、控訴人安藤代理人は、「原判決を取消す。本件(二)の土地とその北側に隣接する本件(三)の土地との境界を別紙図面(一)に表示する、(2)、(3)の各点を直線をもって結んだ線であることを確定する。被控訴人らの控訴人安藤に対する請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。」との判決を求め、被控訴人ら代理人は、各控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の主張並びに証拠の関係は、左に付加、訂正するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

(原判決の訂正)

(一)  原判決三枚目裏六行目の冒頭に「1」を、同九行目の次の行に「2原告らその余の請求を棄却する。」、その次の行に「3訴訟費用は原告らの負担とする。」との文言を加え、同一五枚目表七行目に「土地につき」とあるのを「土地を」と訂正する。

(二)  原判決三〇枚目表二行目から三行目にかけて「甲第一七ないし」とあるのを「甲第一七、」と、同六行目の「甲第三五号証」以下次行までを「第三一号証、第三二号証の一、二、第三三ないし第三五号証。」と各訂正する。

(三)  原判決三〇枚目裏五行目から七行目までを「3甲第六号証、第八ないし第一一号証、第一五、第一六号証、第二六号証の各成立を認める、甲第一号証、第一二号証の原本の存在並びに成立を認める、甲第一七号証の表題の文書の成立を認めるが、添付書類の成立は不知、甲第三五号証のうち官署作成部分の」と訂正する。

(四)  原判決三一枚目表三行目に「甲第一号証」とあるのを「甲第一号証の原本の存在並びに成立を認める、」と訂正する。

(主張)

一  被控訴人ら代理人

控訴人国の後記主張事実を争う。

二四七六番四の土地は、訴外小嶋萬輔によって二四七六番三の土地の東側を南北に通ずる私道開設のために供出されたに止り、本件市道拡幅のためには殆んど供出されなかったのである。

二  控訴人国代理人

被控訴人らは、本件市道北側の土地所有者小嶋萬輔(その後右土地の所有者となった訴外大久保三郎が同人の後記権利義務を承継した。)と、本件市道の中心線より外側へ南北各二メートル幅の部分に存する同人ら所有の各土地部分を供出して本件市道の現実の幅員を四メートルに拡幅することを協議し、そのとおり実行したのである。すなわち、右の道路は、協議のとおり、本件市道の中心線から外側に各二メートル幅になるように、被控訴人山田は本件市道南側の土地を、大久保三郎は右市道の北側の土地を各幅員一・〇九メートル宛供出し、中央部分となった本件市道の幅員一・八二メートルと合わせて現実の幅員が四メートルになるように本件市道の拡幅がなされ、本件市道の中心線から南北各二メートル外側に、右市道の中心線と平行して被控訴人山田のブロック塀と大久保のフエンスが相対して設置されたのである。

従って、仮に被控訴人らの主張するように、被控訴人山田所有のブロック塀が本件市道の南側端から二メートル外側に設置され、本件市道と本件(一)の土地との境界線が別紙図面(一)に表示する、(イ)、(ロ)の各点を結んだ線であるとするならば、大久保三郎の所有する土地は殆んど本件市道の右現実の拡幅のために供出されなかったことになる。

しかしながら、本件市道北側の土地は、前記協議による供出義務を履行するため、小嶋萬輔によって二四七六番三の土地と同番四の土地に分筆され、右二四七六番四の土地は、現に本件市道が右により現実に拡幅された道路部分の敷地と、本件市道と本通りを結ぶ私設道路敷地として供出され、利用されているのであるから、本件市道と本件(一)の土地との境界線は、別紙図面(一)に表示する右市道の北側境界線である(い)、(ろ)、(は)、(に)の各点を直線で結びこれを西側の(ほ)点まで延長した線から南側に一・八二メートル離れ、これと平行な直線、すなわち、右図面に表示する(と)、(へ)の各点を結ぶ線であるというべきである。

(証拠関係)《省略》

理由

一  本件(一)の土地が被控訴人山田の、本件(二)の土地が被控訴人大鷲の、本件(三)の土地が控訴人安藤の各所有に属すること、本件(二)の土地がその東側において本件(一)の土地と、その北側において本件(三)の土地と相隣接していること、控訴人国が所有し横浜市の管理する本件市道がその南側において本件(一)の土地と、その北側において本件(三)の土地と、その西側において本件(二)の土地と相隣接していること、本件市道が東西に通じ、その西端は本件(一)、(二)の各土地の境界線を北方へ延長した線上において行き止りとなり、右市道の西端側線のほぼ中点が本件(二)の土地と本件(三)の土地との境界線の東側末端(振分点)に当ること及び本件市道と本件(一)、(二)の土地、本件(二)の土地と本件(三)の土地との各境界線が不分明であること、以上の事実は、いずれも当事者間に争いがなく、《証拠省略》を総合すると、本件(一)等の土地、同(二)、(三)の土地及び右各土地の周辺に所在する同所二、五〇七番一、同番二、同番三、二、五〇八番、二、四七六番一ないし四の各土地の地目、公簿面積、分筆経過、取得原因、所有者等が別紙分筆経過等一覧表記載のとおりである事実(ただし、被控訴人山田が本件(一)等の土地を買受けたのが昭和三六年六月ころであることは、後に認定するとおりである。)を認めることができ、これを動すに足りる証拠は存しない。

二  そこで、先ず、本件市道周辺の状況について検討するに、《証拠省略》を総合すると、次の事実を認めることができる。

(一)  東西に通ずる本件市道は、幅員一・八二メートル(一間、右幅員の点については、被控訴人らと控訴人国との間において争いがない。)のもと農道であって、人の通行する幅員約一・二メートル(四尺)の中央部分を除いて雑草が繁茂していたが、道路の形状としては全体として直線状であって同所二、四七六番一の土地の南側、同所二、四七七番一の土地の北側に各隣接し、右両地の東側に接し弓状に湾曲して南北に通ずる市道と丁字型に交差し、別紙図面(一)に表示する右交差点の北側の角(い)点に石標が存すること。

(二)  本件市道とその北側に位置する右二、四七六番一の土地との間には、別紙図面(一)に表示する(ろ)、(は)の各点にその境界を示すウツ木が存し、同(に)点に丸太杭があり、その西側、すなわち右土地の西側に添って本通りに通ずる幅員約四メートルの道路が設けられ、本件市道の右(に)点から西側は幅員四メートル位の舗装道路となり、その終末の同図面に表示する(3)点には丸い穴が存し、同図面に表示する(丙)点、(ル)点及び(ヲ)点には、いずれも隣地との境界を示すウツ木と長さ約一・二メートル、幅一二センチメートル位の鉄製アングルが打ち込まれているが、本件市道の南側に存する前記二、四七七番一の土地及び本件(一)の土地との間には、その境界を示す指標となるべきものが存しないこと。

(三)  更に、別紙図面(一)に表示するとおり(7、ホ)点から東へ本件市道にほぼ平行してフェンスが存し、右同点から(6、ヘ)点を経て(1、ニ)点まで控訴人安藤の設置したコンクリートブロックを基礎とした鉄製柵、(ハ)点から(1、ニ)点を経て(丙)点まで被控訴人大鷲の設置したブロック塀、(丙)点から(ヲ)点まで同人の設置したフェンスがあり、(ル)点から訴外島村福太郎所有の同所二五〇八番三の土地の西側に沿い北方へブロック塀、(甲)点から(乙)点まで被控訴人山田の設置したブロック塀が各存在しており、被控訴人山田の所有する本件(一)等の土地と被控訴人大鷲の所有する本件(二)の土地との境として(ヌ)点から(乙)点付近までフェンスが設置され、右(ヌ)、(乙)点を結んだ線の延長線上に前示(3)点の穴が存すること。

(四)  昭和三四年九月当時別紙図面(一)に表示する(へ)点((3)点から南へ〇・五七間)付近にウツ木が存し、同三六年ころには、右図面に表示する(2)点と(3)点を結んだ線上にマサ木の生垣が、同(2)点には石標が各存したこと。

(五)  被控訴人山田は、本件(一)の土地に通ずる本件市道が狭ま過ぎ、かつ、右市道から本通りに達する通路も十分でなく不便であったため、昭和四一年六月ころ被控訴人大鷲及び分筆前の同所二、四七六番の土地所有者小嶋萬輔と協議の上、本件市道の中心線から南北各二メートル幅の土地のうち各自の所有する土地部分を提供して右市道の現実の幅員を四メートルに拡幅し、その延長として、本通りに通ずる幅員四メートルの私道を開設することとし、被控訴人らにおいて本通りからの右私道入口部分の土地を購入してこれを右私道敷として提供したほか、被控訴人山田及び右小嶋において、本件市道の右現実拡幅部分の土地を提供し現にこれが市道と一体をなす道路として使用されていること及び同四二年六月二八日右小嶋は、右私道敷及び市道現実拡幅部分敷地として提供した右土地を二四七六番一の土地(当時右土地は、同番一と同番二の土地に分筆されていた。)から分筆して同番四としたこと。

(六)  昭和四五年一月ころ、本件市道の利用者である訴外小島昇蔵、大久保三郎、鈴木恒夫、川口章、大久保実及び被控訴人らは、協議の上、本件市道及びその現実拡幅部分のコンクリート舗装を行うこととし、これを訴外大久保建設に請負わせて施行したが、その際前示(3)点には、太さ約一〇センチメートルで地上に約一五センチメートル出ていた古い石標が埋設されていたため、その跡に丸いビニール管を入れて穴として残したものが前示(3)点の穴であり、また、前示(に)点の丸太杭は、同四六年ころの道路境界査定に当り、本件市道と二、四七六番一の土地との境界点として、当時の右土地の所有者小島昇蔵と本件市道の管理者横浜市との間に合意された地点であり、更に前示(2)点の石標は、控訴人安藤の先代訴外安藤丹蔵が分筆前の同所二、五〇七番一の土地を買受ける際、訴外久保寺某によって設置されたものであること。

以上の認定事実を左右する確証は存しない。

なお、《証拠省略》を総合すると、別紙図面(一)に表示する(9)点、(5)点及び(1、ニ)点にそれぞれ石標が存したほか、右(1、ニ)点に被控訴人大鷲が鉄製アングルを打ち込んだこと及び右(5)点に存する石標は久保寺某が(2)点の石標を設置する際に設置した事実を認めることができるが、原審証人川面久、原審及び当審証人杉谷源治の各供述するように、本件係争地周辺には、他にも新旧の石標等が各所に存しており、それが何時、誰によって、何のような目的のもとに、又如何なる根拠によるものであるかを確認するに足りる証拠も存しないし、更に本件係争地周辺の状況からしても、本件においてこれらを特に重視すべきものとは認められない。

三  以上に認定した事実に基づいて、本件における各境界線について判断する。

(一)  本件市道と本件(一)の土地との境界線について

前叙認定のとおり、幅員一・八二メートルの本件市道は、ほぼ東西に通じて直線状をなし、その西端は本件(一)、(二)の土地の境界線(ヌ)、(乙)線の北への延長線上において行き止りとなり、右市道の西端側線のほぼ中点が本件(二)、(三)の土地との振分点となっていること、右市道とその北側に隣接する二、四七六番一の土地との境界に存する別紙図面(一)表示の(い)点の石標、(ろ)、(は)点の各ウツ木、(に)点に存する丸太杭とを直線をもって結んだ線の延長線と、本件(二)、(三)の土地の境界線である(ヌ)、(乙)線の延長線との交点(ほ)点から、南へ右延長線上に本件市道の幅員に相当する一・八二メートルの点をとると、右(ヌ)、(乙)線の延長線上に存する(3)点がこれに当り、この(3)点は、右市道のほぼ中心線上に位置することになるから、これを本件市道と本件(二)、(三)の土地との振分点と認めるのが相当である。そこで、別紙図面(一)に表示する右(3)点から北へ、(い)、(ろ)、(は)、(に)及び(ほ)の各点を結んだ直線の延長線に垂線を下し、この垂線上に(3)点から市道幅員の二分の一に相当する〇・九一メートルの点をとり、これと右(に)点とを結び、その直線と前記(ヌ)、(乙)線の延長線との交点を(B)点とし、別紙図面(二)に表示するとおり、右(い)、(ろ)、(は)、(に)、(B)の各点を結んだ線の南側に、これと平行になるように右各点からそれぞれ一・八二メートルの距離を存した(H)、(G)、(F)、(E)、(D)の各点を求め、この各点を直線で結び、右(E)、(D)線と右(ヌ)、(乙)線の各延長線の交点を(C)点とし、更に(G)、(H)線の延長線と(い)、(ち)を結んだ直線との交点を(I)とし、右(い)、(ろ)、(は)、(に)、(B)、(3)、(C)、(D)、(E)、(F)、(G)、(H)、(I)、(い)の各点を順次直線をもって結んだ線内の土地が、本件市道の範囲と認めるのが相当である。

もっとも、甲第三四号証は、原審証人川面久の供述によると、本件市道の北側境界線上に存したウツ木を基準として本件市道の推定位置を表示したものであるというのであって、これによると、本件市道は前認定の位置より約二メートル北方に位置することになるが、右甲第三四号証作成の基礎とされた甲第七号証、第一八号証の各図面は、前顕各証拠に照らして考えれば、本件市道位置表示の点につき合理的根拠をもって作成されたものとはいいえないから、この点の証拠とはなし難く、右の証拠によって前認定を左右することはできないものといわなければならない。

そうすると、本件市道とその南側に隣接する被控訴人山田所有の本件(一)の土地との境界線は、別紙図面(二)に表示する(E)、(D)線上にして本件(一)の土地の東北隅の(E)'点と、(D)、(C)の各点を直線をもって結んだ線と確定すべきものである。そして、右の認定は、前示乙第一号証(公図写)に表示された本件市道及び本件各土地を含む右市道周辺の土地の位置、形状、殊に右市道の西端における本件(二)、(三)の各土地の振分点の位置、形状等及び現況に近似するものであるということができる。

被控訴人らは、本件市道と本件(一)の土地との境界線は、別紙図面(一)に表示する、(イ)、(ロ)の各点を結んだ線であると主張するところ、これに符合する甲第三号証の一、二、第四、第五号証、第七ないし第一一号証、第一八号証、第二九号証、第三〇、第三一号証、第三三号証の各記載及び原審証人川面久、原審及び当審における証人鈴木光雄、被控訴本人山田三喜夫、大鷲隆平の各供述部分は、前顕各証拠に照らして措信できず、他に右認定を左右するに足りる確証は存しない。若し、右主張のとおりであるとするならば、直線状であるべき本件市道は、その東寄りの部分、すなわち右市道に隣接して位置する二、四七六番一の土地及び二、四七七番一の土地との関係において、不自然な形状、幅員を呈することになって到底肯認できるものではなく、更に小島萬輔が本件市道の現実拡幅の協議に基づきその拡幅部分を道路敷として提供しこれが現に市道と一体をなし通路として使用されていること及び右提供部分を二、四七六番四の土地として分筆したとの前叙事実関係と矛盾する結果となって妥当なものと認めることができない。

もっとも、前に説示したとおり、被控訴人山田の所有する本件(一)等の土地の公簿面積は合計一、〇四三平方メートルであるが、その実測面積は、右被控訴人が後に買増した後記土地を含めて、甲第三号証の二によると、一、〇四七・四〇平方メートル(三一六坪八合四勺)であったが、その後の実測図面である甲第四号証(甲第一八号証)によると、一、〇四二・三一平方メートル、甲第六号証によると、一、〇四七・四三五平方メートル、甲第七号証によると、一、〇四二・三一平方メートル、甲第三一号証によると、一、〇一七・〇四平方メートル、甲第三三号証によると、一、〇三三・九七平方メートルであるというのであるから、公簿面積より実測面積が少ないように見られないでもない。しかし、《証拠省略》を総合すると、被控訴人山田は、昭和三六年六月ころ訴外鈴木浜吉からその所有にかかる本件(一)等の土地を、実測面積一、〇一六平方メートルとして買受けたが、その際なされた実測は、右浜吉の子訴外鈴木光雄の指示した境界点を基点としてなされたこと及び被控訴人山田は、同年九月ころ右浜吉から本件(一)等の土地の東側に隣接する土地のうち本件市道に沿って右(一)の土地の北東隅から一・八二メートル東へ、東南隅をそのままとするほぼ三角形の土地部分二九・五八平方メートルを買受けた(これによって同被控訴人の買受けた土地の面積は合計一、〇四五・五八平方メートルとなる。)事実を認めることができるが、前掲各証拠によると、被控訴人山田は、昭和四〇年ころ被控訴人大鷲から、本件(一)等の土地における南西側の境界線が本件(二)の土地に喰い込んでいるとの抗議を受け、右(一)等の土地の南西端における境界点を約三〇センチメートル東側に移して本件(二)の土地との境界線を直線にするとともに、東南隅における境界点を約三〇センチメートル東側に移動させたこと及び本件(一)等の土地の南側は傾斜をなし、これに接する南側の土地は、被控訴人山田が買受けた当時訴外千代田実業において宅地に造成して分譲していたため、鈴木浜吉は、右(一)等の土地の南側に大谷石をもって擁壁を築いていたこと並びにそのため前示実測に際し鈴木光雄は右土地の南側における境界点として法肩上の地点等を指示した事実を認めることができ、右事実によれば、鈴木光雄のした境界点の指示の正確性については多分に疑問を抱く余地があるばかりでなく、本件(一)等の土地の東側に接続する土地(前示乙第一号証によると、同所二、四七七番一、同二五〇五番一、同番二の各土地である。)との境界線が明らかであって、これを正確に指示したとの事実を認めるに足りる証拠も存しない。そして、被控訴人山田が本件(一)等の土地を実測の上、一、〇四五・五八平方メートルとして買受けたとしても、前示境界線の是正によって得た土地部分及び買増した土地部分につき、前示二、四七七番一、二、五〇五番一、同番二の土地から分筆して所有権移転登記を受けたとの事実を認めるに足りる証拠も存しない。そうすると、被控訴人山田が買受けた本件(一)等の土地の実測面積が公簿面積より少なかったのは、右の各土地にいわゆる縄縮みが存したか、又は右各土地を買受ける際になされた土地の範囲についての指示に右土地の一部を脱漏した誤りが存するか、若しくは、本件市道の一部を含む地積計算をもって買受けたのか、そのいずれかであったものといわなければならない。従って、本件市道の位置、範囲が前示のとおり明確となり、これを基準とした本件(一)等の土地の実測面積が公簿上の面積より少なかったとしても、不足する面積を主張して本件市道の位置を云々できる筋合いのものではないから、右市道の北側に隣接する二、四七六番一ないし六の各土地の公簿面積とその実測面積についての比較検討をするまでもなく、本件(一)等の土地の実測面積が公簿面積より狭少であることをもって、前叙認定を左右することはできない。

なお、《証拠省略》には、被控訴人山田が昭和四一年ころ本件(一)等の土地に建物を建築する際、訴外佐藤秀工務店に対し本件市道の中心線から二メートルの距離を置いてブロック塀を設置するよう依頼したところ、同工務店が誤って右市道の南側境界線から二メートル離れた位置にブロック塀を設置した旨記載されているが右各証拠は、《証拠省略》並びに前叙認定事実に照らして措信できない。

(二)  本件市道と本件(二)の土地との境界線について

以上に認定した事実によれば、本件市道と本件(二)の土地との境界線は、別紙図面(二)に表示する(C)点と(3)点とを結んだ直線であると確定すべきものである。

(三)  本件(二)の土地と本件(三)の土地との境界線について

別紙図面(一)に表示する(3)点は本件市道の西端側線の点であって本件(二)の土地と本件(三)の土地との振分点となっていること、右(3)点と同図面に表示する(2)点との間に嘗つてマサ木の生垣が存したこと等の前叙認定事実に、前示乙第一号証(公図写)に表示されている本件市道、本件(二)の土地及び本件(三)の土地の位置、形状等を総合すると、本件(二)の土地と本件(三)の土地との境界線は、別紙図面(二)に表示する(3)点と(2)点とを直線をもって結んだ線と確定するのが相当である。

なお、《証拠省略》を総合すると、本件(二)の土地の公簿面積は六八〇平方メートル、本件(三)の土地及び同番一、三の土地のそれは合計七二〇平方メートルであること、本件(二)の土地の係争地を含めた実測面積は、甲第二号証によると、七五五・九〇平方メートル(二二八坪六合六勺)、甲第七号証によると、七四七・八一平方メートル、甲第三三号証によると、七四七・五一平方メートルというのであって、いずれも公簿面積より六七平方メートル以上も多いのに反し、本件(三)の土地及び同番一、三の土地の実測面積は、別紙図面(一)に表示する(6、ヘ)(1、ニ)、(2)、(3)、(ほ)、(6、ヘ)の各点を順次直線をもって結んだ線内の土地約二一・三〇平方メートルを加えても、約六八二・七六平方メートルであって、公簿面積より約三七平方メートルも狭いことになる。しかしながら、前示乙第一号に照らすと、本件(三)の土地及び同番一、三の土地の実測面積については、これに隣接する二、五〇八番一ないし三の土地との境界線の確定などなお吟味すべき点があるから、これをもって直ちに本件の資料とすることはできないが、本件(二)の土地の公簿面積と実測面積における右の如き相違は、前示境界線の認定を支持する一資料たり得るものということができる。もっとも、被控訴人大鷲は、本件(二)の土地には縄延びがある旨主張するが、その縄延びが前示境界線の確定に影響を及ぼすことを認めるに足りる証拠も存しないから、右主張を採用しない。

なお、別紙図面(一)に表示する(1、ニ)点から(ハ)点に至る線を境にし、その北側に控訴人安藤がコンクリートブロックを基礎とした鉄製柵を、その南側に被控訴人大鷲がブロック塀を各設置していることは、前に認定したとおりであり、また、《証拠省略》によると、被控訴人大鷲は昭和四五年ころ別紙図面(一)に表示する(1、ニ)点に鉄製のアングルを打ち込んだ事実を認めることができるが、《証拠省略》によると、右アングルの打ち込みは控訴人安藤の承諾に基づかなかったものということができるし、右フェンス、ブロック塀の設置の事実だけでは、前叙認定を動すことはできない。

三  控訴人安藤に対する物件の撤去及び妨害禁止請求について

控訴人安藤が別紙図面(一)に表示する(7、ホ)、(6、ヘ)、(ハ)の各点を順次直線をもって結んだ線上にコンクリートブロックを基礎とした鉄製柵を設置している事実は、既に認定したとおりであるが、控訴人安藤の所有する本件(三)の土地、大久保三郎所有の二四七六番四の土地と本件市道の境界線が別紙図面(二)に表示する(に)、(B)、(3)の各点を結んだ直線であることも、既に説示したとおりであるから、控訴人安藤の設置した右鉄製柵が本件市道上に存しないことは明らかである。

そうすると、右鉄製柵が本件市道上に存することを前提として控訴人安藤に対し、右鉄製柵の撤去及び本件市道の通行妨害禁止を求める被控訴人らの請求は失当である。

四  以上の次第であるから、本件市道と本件(一)の土地の境界を別紙図面(二)に表示する(E)'、(D)、(C)の各点を直線でもって結んだ線に、本件市道と本件(二)の土地との境界を同図面に表示する(C)、(3)の各点を直線をもって結んだ線に、本件(二)の土地と本件(三)の土地との境界を同図面に表示する(3)、(2)の各点を直線をもって結んだ線にそれぞれ確定し、控訴人安藤に対するコンクリート・ブロックを基礎とする鉄製柵の撤去及び通行妨害禁止を求める被控訴人らの請求は、いずれも失当として棄却すべきものである。

五  よって、本件各控訴はいずれも理由があるから、これと結論を異にする原判決を右の趣旨に従って変更し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九六条、第八九条、第九三条を適用し、主文のとおり判決する。

(判事 長久保武 加藤一隆 裁判長判事安倍正三は退官につき署名捺印をすることができない。判事 長久保武)

〈以下省略〉

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